父の日、父と子の話し方

6月15日は父の日。
父の日は母の日に比べて百貨店の催し物スペースも小さく、盛り上がりに欠けるもの。
父は母に比べて存在感が薄く、「なんでぃ、ちくしょう」と内心毒づくお父さんも多いことと思います。

今日は父の日を話し方教室の観点から考えてみましょう。

昔のお父さんは子供と会話などする必要もなく、ただ黙って生きる背中を見せていればいいものでした。
明治、大正のおやじは本当に楽だったぜぃ。
しかし昭和のお父さんは子供に好かれたいタイプが多く、子供との会話に戸惑いがちです。

「娘がぜんぜん話をしてくれなくなった」とこぼすお父さんを居酒屋で見かけることもしばしば。

子供との会話がなぜうまくいかないのか。
それは「立派な姿を子供に見せなければならない」と思い違いをしているから。

すると自分の失敗や器が小さい話などできません。
「お父さんは運動会でも一番だったぞ」
「お父さんは家が貧乏だったから公立の高校、国立の大学しか行けなかったから勉強必死でやったもんだ」
こんな話ばかりでは子供は弱音を吐いたり、なまけたい気持ちを父に言えるはずがありません。
すると父の前では寡黙になるしかないのです。

つまり自分を偽って子供と接していると、親子の会話がむずかしくなるということ。
これが父子の会話が消える日のはじまりはじまり。

子供が聞きたいのは親の本当の気持ち、本当の姿。
「お母さん、小遣いなかなか上げてくれないわぁ。3千円でいいのにねー。困るわぁ。お父さんグレちゃうかも」
「お父さん、5歳も年下の上司にえらそーに言われてかなわんわー。小6のおまえで言ったら、小1にそーじせえとか宿題やっとけってえらそうに言われるのと同じや。どうや、嫌やろう」

こんな話をしてもらえたら、子供も先生に叱られた話や金持ちの同級生に腹が立つ話ができるのです。
そして「勉強しんどい」とか「イケメンに生まれたヤツがうらやましい」とか話をしてくれるようになります。

ここで多くの人が心配するのが、「子供が勉強嫌いと言ったら、親としては勉強しなくていいとは言えないでしょう。自分も勉強嫌いだったとは言えない」といったこと。
こんな場合でのコミュニケーション能力、話し方の力がないから子供とうまくお話ができないのです。

「勉強嫌い」「学校に行きたくない」「一生フリーターでいい」なんて言われたら、親としては慌てますし、子供の考え方を変えたいと思うのも仕方のないところではあります。
でも親が変えようとするから子は反発し、親に話をしなくなるのです。

そのお話はまた明日かあさって。
父の日までには解決する所存です。