もし清原和博さんが友人だったなら・・・あなたにできること
元巨人の清原和博さんが覚せい剤の使用で逮捕されてしまいました。
野球ファンとして、とても残念に思っております。
PL学園で同じチームで支えあった桑田真澄さんがマスコミに登場して、「疑惑が報じられるたびに忠告をしていたが、3年前にもう俺に関わらないでくれと絶縁された」と語っています。
桑田さんは友人思いの素敵な方だと思います。
でもそんな桑田さんの思いがどうして清原さんには伝わらなかったのか。
正論で説教しても、人の心は動かないもの
こういうことは世の中にあふれかえっているはず。
学校に行かないわが子に、親が意見をする。
ギャンブルにはまって家庭を顧みない人に、友人が説教する。
ダメな男に入れ揚げる女に、先輩が道理を説く。
しかし、それで人の心が変わり言ってくれた人に感謝をするといったニュースを私はあまり聞いたことがありません。
わかっちゃいるけどやめられない。
それが人の性というものでしょう。
桑田さんはもしかして「そんなことではいけない」「野球人として恥ずかしくないのか」というような言葉を、清原さんに投げかけていたのかもしれません。
そばに寄り添っていてあげることしか、他人にできることはない
人の心はそう簡単に変わるものではありません。
「いけない」と思いつつ、清原さんはクスリに手を出し、
「このままではダメになる」と知りつつ、子供は学校に行けないのです。
「ギャンブルはわが身を滅ぼす」とうすうす気づきながら、人は今日も競艇場へと向ってしまう。
「この男を好きになっても仕方がない」と潜在的な部分では感じつつ、女はどうしてもダメ男に金を渡してしまうのです。
そんな時、そばにいる者ができるのは、そばに寄り添い気持ちを聞いてあげることだけです。
もし桑田さんが清原さんに「気持ちが荒れているみたいだね」「精神的にしんどいのと違う?」などと寄り添う姿勢を見せていたら、絶縁はされなかったかもしれません。
あなたは間違っている。
その考え、言葉、行動は変えるべきだ。
私が正しい。
こんなメッセージを出してしまうと、相手は間違っているとは思いつつ、その言葉に屈服することを拒んでしまいます。
「学校、いけないか」
「ギャンブルってそんなに面白いの」
「どうしてもその男の人に魅かれてしまうのね」
こんな相手に寄り添う言葉を使えるようになったら、もしかするとギリギリのところで大事な人を救えるかもしれません。
自分に寄り添ってくれる人がいる。
これが人に絶望から抜け出すエネルギーをくれるのです。
相手に寄り添い、話を引き出す力。
これを「聞く力」と呼びます。
この偉大な力を持つ人は、めったにいません。
本物の聞くスキルとは、相手の話す内容を想像力を使ってイメージする力でもあります。
話を弾ませるだけでなく、相手の立場や気持ちを理解する思いやりにもつながっているのです。
一般の人では想像もできない、本物の聞く力をぜひマスターしてください。
営業ではお客さんがつい本音をこぼし、
部下の窺い知れないような悩みを引き出し、
雑談相手はプライベートな話をついしゃべっちゃう。
聞き手とは「はい」と頷き、相手の話を邪魔しない人という大きな誤解を解いて下さい。
聞き手は会話の主役であり、相手から愛され、一番楽しい役回りであるということに気づくことでしょう。