コミュニケーションの90%はただの気遣い
コミュニケーションとは何か。
そんな疑問がネットでもよく語られています。
今回はそんな疑問にお答えするお話を。
もうずいぶん昔のことですが、ある出版社からこんな本を書いてくれないかと依頼がありました。
『ダジャレで楽しむ会話術』
一瞬でこう思いました。
「無理」
「売れるもんか」
その時、私はこう返事をしました。
この度は有難いお話を頂戴し誠にありがとうございます。
大変興味の湧くタイトルですね。
ただ、あいにく執筆の予定が詰まっておりまして、お受けすることができない状態です。
大変残念ではございますが、この度のご依頼をご辞退させて頂きたくお願いを申し上げます。
「書けません」
という意思表示をするために、これほどの気を遣うわけです。
コミュニケーションとは情報のやりとりだと思っている人は多いかもしれません。
でもその中身を覗いてみると、情報などごく一部であることがすぐにわかります。
私たちがやりとりしているのはほとんどが
『相手に対する気遣いと言い訳』
にすぎないのです。
ああ、面倒くさい!
とは言ってはいられない。
この気遣いが失われた途端に、私たちは社会からつまみ出され、のけ者になってしまいます。
事実、この気遣いが足らないだけで、職場で浮いた存在になり、妻や恋人に不機嫌な顔を向けられ、友人から距離を置かれた経験など、誰にも一度や二度の経験があることでしょう。
妻の料理に「まずい」と言ってしまってはこの世の終わり。
「美味しいじゃないか」
とまず言う事が家庭を穏やかに収める処世術。
そしてどうしても必要ならば、
「今度は塩を控え目にすると、もっと美味しいかも」
と塩同様に言葉も控え目にする。
これで将来寝たきりになった時、妻から毎晩針で刺されるリスクも軽減されるはず。
部下の企画に
「何が言いたいのか全然わからない」
と本音を語れば部下は不貞腐れ、上からは無能管理職の烙印を押される。
「よく頑張ったな」
という心にもない言葉がビジネス社会では必須。
そして
「この企画で君が一番訴えたいのは何?」
と彼の言いたいことを引き出すよう頑張る。
「そうか、結論はそこなのか」
と気づきを与え、
「結論を初めに持って来て、あとの話も結論を意識して書けば完璧だね」
と暗に書き直しを伝える。
コミュニケーションとは
- あなたを大切に思っている
- その力を認めている
- 尊敬している
と伝える役割が大きかったのですね。
私たちは相手を思いやり、同じ結果になるのならお互いが少しでも気持ちよくいられるよう、配慮しあうことができる生き物。
コミュニケーションの90%はただの気遣いにすぎない。
このことをぜひ覚えていてください。
甥っ子は目に入れても痛くない
私には今年4歳になる甥っ子がいます。
今年(2018年)の誕生日を迎えると59歳になる私に4歳の甥っ子とは違和感があることと思います。
実は弟が49歳でできちゃった婚をしたのです。
うちには子供がいないので、野口家として初の子供ということです。
私の家内はもう60歳を過ぎているので、この甥っ子が孫のように可愛い様子。
先日も「目に入れても痛くないわ」と言って甥っ子と遊んでおりましたら、彼の人差し指が家内の目にズボッと入ってしまいました。
痛っ!と言って目を真っ赤にし、涙ぽろぽろの家内。
目に入れても痛くない。
この格言は真っ赤なウソであることを思い知らされた事件だったのでした。
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